親が土下座する意味を教えてくれた『聲の形』
今まで生きてきて、親が自分のために土下座したことはあるだろうか?僕は30年生きてきたけど、一度もない。
親に迷惑がかからないように生きてきたというよりは、自分のことは自分で決める。自己責任だと思って生きてきた。その結果、親が土下座をするような行為をしなかっただけだ。
そんな僕が親の土下座について考えたのは人気漫画が原作の映画『聲の形』を見てから。
ストーリー
退屈することを何よりも嫌うガキ大将の少年・石田将也は、転校生の少女・西宮硝子へ好奇心を抱き、硝子の存在のおかげで退屈な日々から解放される。しかし、硝子との間に起こったある出来事をきっかけに、将也は周囲から孤立してしまう。それから5年。心を閉ざして生き、高校生になった将也は、いまは別の学校へ通う硝子のもとを訪れる。
【※以下ネタバレ】
耳が聞こえにくい硝子は、自分が原因で周りの人に迷惑をかけたくないと辛いことがあっても明るく振るっている。いじめられていた将也に対しても、嫌がらせもせずにいつも笑顔で接するほどに。
高校生になり、将也が会いにきて、仲良くするうちに離れ離れになった小学校の同級生たちとも仲良くなる。
ある出来事から硝子が原因で仲良くなった関係も崩れてしまう。責任を感じた硝子はマンションのベランダから自殺を図るけど、奇跡的に将也に助けられる。助かった硝子の代わりに将也がマンションから落下し、意識不明の重体になる。
硝子の母がとった行動は
硝子の母は病院に駆けつけて、将也の母に会うとすぐに、土下座して謝罪する。『どうもすみませんでした。』
僕はこのシーンで涙が止まらなかった。昔聞いたことがある。土下座は自分のためではなく、何か大切なものを守るためにある。親にとって子供はいつまでも大切で、一生心配し続ける存在なんだと。こんなにも涙が止まらなかったのは、最近実家で、帰り際に母からお守りをもらったからだろう。
一人前だという思い込み
僕は大学生から一人暮らしをして、あまり親と連絡を取りあわなかった。そんな状況を僕の中では『連絡が来ない=一人前だと認められた』と思っていた。
大学生の頃から正月やお盆に実家に帰ることが面倒でバイトをしていると、バイト先の上司から『実家帰らないの?』『顔を見せることが一番の親孝行だよ』。
僕は『もう自分も一人暮らししているし、親にも心配をかけていない。地元の友達と遊ぶ予定があった時についでに会えば良いや』。『実家=友達と遊ぶ時の宿』と考えていた。社会人になると、生活費を自分で稼いでいるから、大学生の頃よりさらに勘違いして逆に親を心配していたぐらいだ。
お守りに込めたメッセージ
母からお守りをもらった時に心の中では『お守りってもういいよ。子供じゃないし。昔の人はお守りを持つのが習慣になっているのかな?』程度にしか考えていなかった。
『聲の形』を見た今は『一緒に暮らしていないから、せめて自分が買ってきたお守りを身につけておいてほしい。何かあっても助かるように。』こんな想いがあったのかもしれない。
今思えば、高校受験の時も、大学受験の時も、就活の時も何かある時にはいつもお守りをもらっていた。言葉足らずで心配性な両親だから『がんばれ』と一声かけてプレッシャーになるかもしれないから、代わりに渡してくれたのかもしれない。
恥ずかしくて直接聞くことはできないけど、今度からは『親に会いに』実家に帰ろうと思う。